西谷物語。。。




      本名、西谷昇二。

      1956年6月16日 高知県生まれ。
      しかし、6月16日とは正確な誕生日ではないらしい。(西谷先生自身、自分の誕生日を知らない)
      
      不登校、「遠藤」という偽名で家出をすることもあったが18歳まで高知県で育ち、
      大学入学(国際基督教大学 人文学部)をきっかけに上京。

      大学卒業後、詩と隣り合わせな生活をしながら、塾講師としてアルバイトを始める。

      そして、29歳の時、親友の訃報が届く・・・。    
      ブルースのギタリストを夢見てたオガサワラさんの死であった。
      数ヶ月前、故郷である高知に帰省したとき、共に「がんばろう」と励ましあったばかり
      であった。信じられなかった。そんな親友の死顔を目にし自分自身の将来と重なえ怖くなった。

      しかし、今、西谷先生は言う。
      「なぜオガサワラが死んだのか、夢を追ってがんばっていたのになぜ死ななければ
      ならなかったのか。それを考えるために自分は生かされている気がする」と。
      
      親友の死をきっかけに
29歳の時、大手進学塾・研数予備校の教壇に立ち、31歳の時、
      代々木ゼミナールに引き抜かれる。
      

      今まであまり口にしなかったが、ちょうどこの時期、前々妻との離婚の話が持ち上がっていた。
      西谷先生ががんばったきっかけとして前妻・まりこさんの「こんな小さなダイヤはいらないわ」と
      いう言葉があったと著書『壁を越える技術』で明かされている。
      しかし、真実は違っていた。
      2009年1月9日に行なわれた講演会で「前々妻との離婚のことでお金が必要だったんだ」と
      述べている。
      
      そして、まだその講演会で真実が明かされた。
      「こんなこと言っていいのかな・・・、実はまりこと出会ったとき、ようやく前々妻との間に子供が
      できたんだ。それでこんなことじゃいけないと思って、数ヶ月の間まりことは会わないようにして
      いたんだけど、でもダメだった・・・。 あの時はホントに悩んだ」

 

  


      ある教え子が西谷先生のことを「十字架を背負ったキリストのようです」と言っていました。
      西谷先生自身も「俺はそんなに良い奴じゃない」と言っていました。
      なんか、この講演で話を聞いて、「十字架を背負ったキリスト」と「良い奴じゃない」という言葉が
      つながった気がした。 そして、なぜ若い人の目線にまで降りて向き合ってくれる理由も・・・。

      まだまだ、西谷先生を紹介する上で、省いてはいけない部分(特に両親との関係)はたくさんあります。
      しかし、ここで書いたようなことが西谷先生の言動・行動の原点になっているような気がします。
      

      若い人に「そんな考えじゃあまい」「そんなんじゃ社会では通用しないよ」と、全てをわかりきったことを
      口にする大人の中、西谷先生は「いいじゃんいいじゃん」と間違いなく言ってくれるだろう。
      講演会終了後のサイン会でも、主催の出版社がせかせる中でも話しかけられるとついつい耳を傾け
      てしまう西谷先生はとても印象的だった。


      そして、西谷先生の夢を聞くことができた。 その夢とはBarのマスターになることらしい。
      二度の離婚を経験しながらも「熱い恋愛がしたい」という宣言も西谷先生らしかった。



                                                       
            

inserted by FC2 system